邪道は不滅じゃ!大仁田厚の引退→復帰の歴史を振り返る

プロレスラーの大仁田厚が、還暦となる2017年限りで引退することを宣言しました。しかし大仁田といえば、引退と復帰を繰り返していることで有名です。これまでの歴史を振り返ります。

公開日:2017.5.9

その4日後、大仁田は一年後の引退を正式表明します。政界進出については言葉を濁したため、その会見の記事はそんなに大きくありませんでした。そして、その一年後…。

1995年5月6日付のデイリースポーツ

1995年5月5日、弟子・ハヤブサさんとの試合を最後に、宣言通りの引退。サイド記事に「平成の奇跡だ 脅威の動員213万人」とあり、当時の大仁田の人気の大きさが見てとれます。しかし、そのわずか1年半後…。

1996年12月12日付のデイリースポーツ1面

◆大仁田どうじゃ!1年7ヵ月ぶり吠えた 〝初共闘〟ポーゴに引退の花道
 大仁田が一年七カ月ぶりリングに帰って来た。ポーゴと生涯一度の共闘スクラムを組んだ大仁田は、テリー率いる米国版FMW軍と対決。
(中略)
 伝説の駒沢会場は“オオニタ・コール”に包まれた。

一時は俳優業に専念していたが、ミスター・ポーゴの「引退試合で、ライバルだった大仁田とタッグを組みたい」という願いを叶えるといったアングルで、この一試合限定という建前で1996年12月11日のFMW駒沢体育館大会で2度目の復帰戦を行い(大仁田、ポーゴ、田中正人、黒田哲広組対テリー・ファンク、大矢剛功、ザ・ヘッドハンターズ組)、そのままなし崩しにリングに上がり続けた

ちなみに、大仁田のもうひとつの顔だった「グレート・ニタ」は、「グレート・ムタ」に退治されました。

1999年8月29日付のデイリースポーツ1

大仁田2度目の引退試合に先立ち、1995年5月1日に大阪府立臨海スポーツセンターにおいてニタの引退試合が行われた

だが、大仁田が現役復帰して新日本プロレスに参戦した際、武藤敬司がニタの存在に不快感を示したのをきっかけに、ニタと本家グレート・ムタとの一騎討ちが決定。

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