アントニオ猪木vsマサ斎藤、伝説の87年10・4“巌流島の死闘”とは何だったのか
昭和の名プロレスラー、マサ斎藤さんがが亡くなりました。斎藤さんといえば、アントニオ猪木との“巌流島の死闘”で有名ですが…果たしてどんなものだったのか。歴史的な名勝負?それとも世紀の凡戦?
公開日:2018.7.22
◆斎藤が遅れて島へ
午後二時三十一分、しびれを切らした猪木が小船で上陸した。前夜、40度の発熱をしたという猪木だが、驚異的な回復力で、この日は平熱近く(37・5度)まで戻っていた。タオルをすっぽりとかぶったまま、手には“必勝!アントニオ猪木”の文字が入ったカイが握られている。無言のままテントに入って、決戦に備える。
猪木に遅れること一時間半、午後四時に斎藤も小船で島へ渡ってきた。375年前の決闘は、武蔵が約二時間、小次郎を待たせ続け、そして勝った。猪木がリングシューズを手に持ったまま現れたのに対して、斎藤はロングタイツにTシャツの臨戦態勢。この時、斎藤は確かに武蔵だった。
◆死闘開始
立会人の坂口征二、山本小鉄が試合開始を四時半と告げる。開始の合図のあと、リングに駆け上がった斎藤だが猪木は出てこない。猪木はチラリと姿を見せたが、すぐにテント内に引っ込む。じりじりと時間が経過していく。はやる気持ちを抑え切れない斎藤が、再び、リングに登場し“イノキ”と大声で挑発する。待たされる小次郎の姿がだぶって見えた。
すでに時計は五時を回っていた。視殺戦のあと、猪木の予告通り、絞め技の攻防が続き、斎藤が強烈な関節技に鼻血をしたたらせる。ヘリコプターの爆音に包まれながらもリングの中と外で静かな激しい火花が散る。
太陽は西へ傾き、照明ライトが点灯され、続いてかがり火四基が炎を上げる。その間、大技は猪木のバックドロップだけという地味な攻防が一気にクライマックスへ突入した。
◆大流血戦
リングから飛び出した両雄。猪木の頭突きが火を噴く。4連発の乱れ打ちで斎藤の額が割れた。その傷口へパンチが浴びせられ、草原をフラつく斎藤。だが、マキをつかむや猪木の額を逆にたたき割り、壮絶な流血戦へ崩れ込む。頭突きをブチ込んだ斎藤は、猪木をかがり火にぶつける。
戦場はリングに戻る。「絞め技でスタミナを奪って、一気に勝負」という猪木がブレーンバスター。だが斎藤はバックドロップで応酬。猪木が延髄切り、斎藤は再び、バックドロップと両雄がスパートをかける。ラリアートをかわした猪木。二度目の首折り弾に来る斎藤をドロップキックが貫いた。
草原をさまよう血まみれの野獣。斎藤の頭突き3連発で勝負あったかに見えたが、背後から猪木が、トドメのスリーパーホールド。リングから10メートル離れた地点でがっちりと裸絞めが決まった。崩れ落ちる斎藤。巌流島は両者の血で染め抜かれて、ピリオドを打った。武蔵の魂が乗り移ったように猪木は島をさまよい歩き“勝者の門”へたどりつくやバタリと倒れた。若手に両わきを抱えられ、小船に乗り込む猪木。勝者は無言だった。そして、敗者も無言だった。猪木が武蔵になったのは確かだったが…。
(了)
歴史に残る名勝負?それとも世紀の凡戦?
時系列の「ドキュメント」では、報道陣80人が集結も待つこと7時間、空にはヘリ3機(プロレス史上初の空撮とのこと)とあり、とにかく今からでは考えられないような、全てが規格外の一戦だったことがうかがえます。しかしながら試合は静かに進み、決着後も勝者・敗者ともコメントなし、淡々と撤収作業が行われたと。
評価が分かれる試合ではありますが、プロレス史に残る一戦であることは確かです。そしてアントニオ猪木とともにその中心にいたのは、マサ斎藤さんだった事実は永遠に語り継がれていくでしょう。