星野さんも野村さんも、もういない 阪神・岡田監督が開幕3連勝前に語った言葉【2】
阪神タイガースが岡田彰布監督でなかったら、岡田采配がなかったなら、阪神は開幕3連勝できただろうか。
間違いなく、できなかった。
いい顔をしていた。試合中に何度も、ベンチの岡田監督がアップになる。笑う、首を振る、見詰める、つぶやく、声を出す、話しかける、手をたたく、帽子を取る、頭をなでる。すべて自然な動きだ。
ひりつく試合展開。口の中がカラカラなる。ベンチに置かれたのど飴(あめ)の箱を開ける。ひとつずつ、ビニールで包装されている。両手で裂こうとするが、うまくいかない。仕方なく切れ目から飴を押し出して、口に入れる。
おじいさん、あるある。
60歳を過ぎるとペットボトルが開けにくい、薬を取り出すときにポロリと落とす、階段の上り降りに手すりを持つ、やたらサプリを飲む、札を重ねて出してしまう、小銭に手間取る。ビニール袋が開けにくい…。
岡田監督65歳、わたくし66歳。お互い2人の孫を持つ「じいじい」だ。髪の毛は薄くなるか白くなるか。だれもが迎える当たり前の変化だ。顔のシワは深い。経験が年輪となり顔に刻まれる。
岡田監督はすべて、自然に任せている。どっしり、じっくり、ベンチで思考を巡らせる。動くときは電光石火。岡田監督がベンチにいるだけで、選手が安心し、落ち着き、闘志を胸に、恐れることなく立ち向かう。
開幕戦は守り勝った。2戦目は我慢と辛抱で勝った。3戦目は決断で勝った。遊撃・小幡の肩、二塁・中野のガッツ、右翼に入れた板山、固定した一塁大山の安心感、三塁佐藤も難しい球をさばいた。近本、小幡、梅野のカットプレーはキャンプからずっとやって来た。陽気な新人森下、坂本のミットさばき、控える糸原、木浪、走塁軍団-。明確な役割分担があるから、皆が納得して集中できる。
青柳のセーフティースクイズ。立ち上がりに滅多打ちされる秋山を、だれが五回まで投げさせられただろう。1ストライクから代打原口の一発勝負。3試合で17人の投手継投は相手だけでなく、自軍選手たちの心理をも読み切った。
開幕戦は「おれが間違うたなあ」と言い、2戦目は「こんなん1年間やっとったら、体持たんで」と苦笑いした。3戦目は「普通やん」と得意気に言った。
前回04年から08年までの5年間にはなかった。ベンチでは喜怒哀楽を出さない。「間違えた」とか「しんどい」とかは絶対に言わない。作戦に関する質問をされると露骨に嫌な顔をした。何で相手に教えるようなことを言わなあかんのやー。
岡田監督の発するひりついた緊張感は、チーム全体に必要以上の硬さを生んだ。触れれば斬られる怖さがあった。グラウンド以外の、目に見えない何かと戦っている切迫感があった。それが何かは私にも当時は、分からなかった。
今になって思う。それは星野仙一さんの影ではなかったか。03年の劇的な優勝と派手なパフォーマンス、引き継いだのは完成された大人のチームとスタッフ。土台を作ったと野村克也さんの名前まで出てきた。阪神出身監督としての思い、意のままにできない岡田野球、複雑な立ち位置のまま5年間が過ぎた。
残念なことに、2人とも故人となられた。いまは星野さんも野村さんもこの世にいない。岡田監督自身には、今更そんな意識はない。阪神監督に就任した今回、岡田監督の年齢は2人の就任時を上回っている。
「とにかく体調管理だけは気を付けて。どっしり構えて、ぼちぼちやったらええやんか」。開幕前に、私はそれだけを伝えた。「おお、普通にやるわ」と岡田監督は答えた。
(デイリースポーツ特別顧問・改発博明)
◇改発 博明(かいはつ・ひろあき)デイリースポーツ特別顧問。1957年生まれ、兵庫県出身。80年にデイリースポーツに入社し、85年の阪神日本一をトラ番として取材。報道部長、編集局長を経て2016年から株式会社デイリースポーツ代表取締役社長を務め、今年2月に退任した。