侍J・宮城父・亨さんが語る幼少期 私が大弥の立場だったら家出している

 宮城にエールを送った父・亨さんと母・礼子さん
 小学2年生の宮城(家族提供)
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 3月に開幕する第5回WBCで2009年大会以来の優勝を目指す侍ジャパン。日本代表に名を連ねた選手たちの原点、素顔に迫る「侍外伝」の第2回は、オリックス・宮城大弥投手(21)だ。父・亨さん(55)が貧しかった幼少期を明かし、ここまでの成長過程を語った。ユニホームも継ぎはぎで補修するなど、満足な生活を送れない中で、いかに日の丸を背負うまでに育ったのか。そこには、大弥の気持ちの強さと家族の支えがあった。また、母の礼子さん(54)は手紙を書き、世界へ羽ばたく息子にエールを送った。

  ◇ ◇

 大弥の話になると、止まらない。亨さんはニコッとほほ笑みながら、今の思いを赤裸々に打ち明けた。「小さい頃から、そばで一番に応援している。一ファンなんですよ。子どもを応援するのは、親として当たり前のことですね」。ずっと愛し続け、一番のファンで居続ける。日の丸を背負うほどの大投手になっても、親子の関係性は変わることがない。

 ただ、沖縄県内で過ごした幼少期を思い返すと、表情は少し引き締まった。苦しかった過去。亨さんは中学3年の時に交通事故に遭い、左腕に障害を抱えた。定職に就けず、家庭は困難な経済状況。「私が大弥の立場だったら、家出してますよ」。6畳一間に仏壇とテーブル、テレビやタンスを置き、その隙間で大弥は妹の弥生さんと就寝。両親は交代で寝るという、厳しい生活だった。

 月末には決まって、具なしのカレー。周囲からは「ご飯、買えないんでしょう」と貧乏人の扱いを受ける。それでも、大弥は文句を一切言わない。願いは一つだけだった。

 「野球がしたい」

 貯金は、年間100万円を超える遠征費などに消えていった。それでも、亨さんは大弥の頑張りに応え、逃げない。「障害を持ってるからって逃げるなら、子どもを作るなって話だよね。子どもが頑張ってるから、自分も頑張れた」。父の背中に応えるように、大弥も野球人として成長していった。

 野球の才能は幼少期から群を抜いていた。4歳で小学6年生に混じり、2キロのランニング。小学1年生から頭角を現し、常にレギュラーを勝ち取った。そこで待っていたのは、ねたみから来るいじめ。それでも、周囲に泣き言を漏らすことなく、結果で示し続けた。

 U-15、U-18と世代別の日本代表にも選出。そして、高卒4年目でオールジャパンに入った。亨さんは「よく頑張ったなと思います。トップの代表は意味が違う。何万人が目指す中で30人のうちの1人。すごいですよね」と手放しに褒めた。

 「私からは、感謝しかないですよね」

 これ以上ない、親孝行。貧困の家庭を救うため、約束だった基金の設立(宮城大弥基金)にも尽力してくれた。21歳という若さで、多くの人に夢を与えている。身長171センチと決して恵まれた体格でもない。「簡単に言えば、諦める必要はないんだよね。あの体格で、このレベルまで達している。それもいい形で、夢を与えているのかな」。父として、誇らしげに語った。

 宮城家の教訓は二つ。「あいさつをすること」と「うそをつかない」。亨さんは「それ以外はいい」と、この二つだけは徹底させた。その教えを守り、大弥は純粋で裏表のない、立派な社会人にも育っている。

 今大会では第2先発での起用も予想される。亨さんは「平気でしょ」と即答だ。小学1年生の時には6年生相手に無死満塁のピンチから抑えで登板し、無失点。幾度の修羅場を乗り越え、強心臓になった。「ワンポイントなら、155キロぐらい出ますよ」と心配の様子はみじんも感じさせない。

 最後にエールを送った。「ああすれば良かった、こうすれば良かったと後悔しない投球をしてほしい」。結果は求めない。息子として、応援する選手の一人として、世界で羽ばたく姿を見たい。父の願いは、ただ、それだけだ。

 ◆宮城 大弥(みやぎ・ひろや)2001年8月25日生まれ、21歳。沖縄県出身。171センチ、78キロ。左投げ左打ち。投手。背番号13。今季推定年俸8000万円。興南から2019年度ドラフト1位でオリックス入団。プロ1年目の20年10月4日・楽天戦(京セラドーム)で初登板初先発。21年新人王。

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