【競馬】“ノーミス”でダービー馬となったロジャーバローズ
風のように現れて、風のように去って行った-。令和初のダービーを制したロジャーバローズに対して、私と同じような思いを持つファンは少なくないのではないだろうか。
ダービー優勝後は放牧を経て、7月19日に栗東へ帰厩。凱旋門賞を目標に調整が進められていたが、右前浅屈腱炎を発症したため、8月6日に電撃引退&種牡馬入りを発表-。通算6戦3勝。主な勝ち鞍は日本ダービーのみ。「一体、ロジャーバローズとは何者だったのだろう?」。そんな単純な思いから、担当の米林昌彦助手を訪ねに角居勝彦厩舎へと出向いた。
まず聞きたかったのが“第一印象”だ。事前に、彼が京都新聞杯(2着)から担当していたと聞いていたが、それでもここは押さえておきたかった。
-初めて見た印象は?
「今年の1月に、担当馬の横の馬房にいたんです。よく怒られていましたね(笑)。カイバをつけに行くと、すぐに人に襲い掛かっていく。で、怒られるとシュンとして。でも3秒経ったら忘れて、また襲い掛かる…って感じで。“絶対、担当したくない!”って思ってました(笑)。ただ、それはじゃれているわけであって。あの馬、人を馬だと思っているんですよ」
-実際にまたがった感触はどうでした?
「最初は“普通の馬だな”と。そこまで良いという印象はなかったです。ただ、前任者がよくしつけてくれていたので、調教自体は真面目でした。右トモの動きが悪かったり、歯が原因で背中に張りが出たりしていましたが、僕が20年近く取り組んでいる整体を取り入れたら、徐々に痛みが取れて。的確に調教メニューをこなせるようになってきました」。
京都新聞杯2着で賞金加算に成功。そしてダービーの舞台へ。
-納得のいく仕上げだったのですか?
「中間に施した歯の治療が大きかったですね。狼歯(やせば)と言って、ヒトで言えば親知らずのような要らない歯なんですが、それがややこしい位置にあって。レントゲンを撮って、それを取り除いてから馬が一気に良くなりました。調教で負荷をかけてもへこたれないし、背中もパンとして来ましたから」
-人気のサートゥルナーリアの陰に隠れていましたが、仕上げには手応えがあったと。
「ノープレッシャーだったのもいい方に働きました。本当に、全く騒がれませんでしたからね(笑)。自分としては、担当してから右トモの具合や歯のこと、背中の張り、そして長距離輸送への対策と、克服すべき課題が明確でしたから。仕上げに関しては迷いがなかったです。全てが無駄なく、うまく行きましたね。でも、厩舎内のロジャーの評価は高かったんですよ。スタッフみんなで“勝ち負けになるんじゃないの?”とか、“サートゥルとワンツーやな!”とか、実際にそういう話はしていたんです」
結果はご存じの通り。ここではあえてダービーのレースは振り返らない。関心事は、幻となったロジャーバローズの“未来”。米林助手はどう思い描いていたのだろうか?
-この先、ロジャーバローズに“こうなってほしい”という注文はありましたか?
「う~ん。特にないです。ダービーの時点でかなり完成されていましたからね。僕自身がG1を経験したことがなくて、(レース前に)自信を持って言えなかっただけで、内心は“普通にレースを使えば勝ち負け”と思っていましたからね。もう、あのダービーは究極と言える仕上げ。この先、あの馬が成長して古馬になっても、なかなかあれだけいいバランスでレースに持っていくのは難しいですよ。あえて言えば、メンタル面でしょうか。そこはまだ成長の余地があったと思います」
-では、ロジャーバローズをどの舞台で走らせたかったですか?
「3000メートルとか、3200メートル。スタミナがすごくてバテませんから。調教後もレース後も、息の入りが早かったし、心臓は相当強いと思いますよ。たぶん、ダービーの状態に持って行けたら、凱旋門賞でもいい勝負ができたと思います。気分良く運べれば簡単にはバテませんからね」
-ディープ産駒でもスタミナ型の印象を受けますが、仮にためる競馬をしたら切れますか?
「たぶん、切れる脚も使えるはずですよ。忘れられないのが、京都新聞杯の追い切り。当時は変則開催で、実質的な追い切りを月曜にしましたが、その時の動きがものすごかった。栗東CWでラスト1F11秒台をマーク。ゴールを過ぎてからも加速して止まらないぐらいでしたから(笑)。あの時の動きは“スプリント戦にも対応できるのでは?”と思わせるぐらいのポテンシャルを感じました。レースでは、無理に抑え込むことをしなかっただけ。経験を積めば、控える競馬もできたはずです」
引退発表から2日後の8月8日。ロジャーバローズは栗東トレセンから旅立った。夢の続きは2世へ-。
-最後に声は掛けたのですか?
「“頑張れよ”と。そのひと言ですね」
-産駒に伝わってほしいところは?
「勝負根性。素晴らしいモノを持っていましたから」
-ディープインパクトの後継種牡馬として期待がかかります。
「僕自身、あの馬は“種牡馬になるべくして産まれてきた馬”という印象を持っています。実は、以前働いていた厩舎の裏にジェンティルドンナがいて。毎朝、あの馬の歩様を見て“いいな~。ああいう馬を担当してみたいな~”って思っていたんです。そしたら、のちにロジャーと出会って。夢が叶いましたね。血統的には、ジェンティルドンナと8分の7同血。若くして種牡馬入りした馬は成功例が多いですし、楽しみですね。いい子をたくさん出してほしいです」
最後に今一度、振り返ってもらった。
-“大波乱”と評された今年のダービーをどうとらえていますか?
「枠順とか、展開とか、色々なメリットがあったと言われますけど、それを言い始めたらキリがない。実際にロジャーはダービーレコードで勝ちましたし、あれだけのパフォーマンスは力がなければできませんよ。自分としては、出走した18頭に関わった人たちの経験値からくる“その時の判断”が結果に左右したと思っています。例えば、メンコ1枚にしても、スタンド前で着けるか、着けないかのわずかな判断だけで結果が随分と違ってきます。レースに臨む上で、ミスは付きものだし、一つのミスが命取りになるものです。そういう状況のなかで、あの時の僕らは中間の調整からゲートに入るまで、たまたま一つもミスをしなかった。浜中君も完璧に乗ってくれた。それが大きかったと思っています」
正味、ロジャーバローズを担当したのが、わずか7週間だったという米林助手。ノーミスで成し遂げたというサクセスストーリーを聞き、競馬の奥深さを改めて知り、胸のつかえがストンと落ちた。(デイリースポーツ・松浦孝司)
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