宣銅烈氏は韓国野球を救うのか “切り札”が待望の代表監督就任
KBO(韓国野球委員会)が24日、次期国際大会の代表監督に中日でも活躍した宣銅烈氏(52)を選出した。期間は2020年の東京五輪まで。同氏はこれまで北京五輪やWBCで投手コーチは務めたものの、代表監督に就くのは初めてとなる。
今回のポイントは東京五輪までの3年間という長期契約であることだ。これまで韓国は大会ごとに監督を選んでいたが、そのたびに人選が難航。それを日本的な「監督常設」で代表を指揮し続けていくことで、監督人選の問題とともにチーム自体を継続して見ることもできる。
ちなみに韓国ではアジア大会や五輪は、韓国野球ソフトボール協会が管轄し、プロ側に監督決定権はない。そこで18日には理事会で内規を変更し、監督及び選手の選抜権をKBOに委任する決定を下していた。
これにより宣銅烈氏は11月の「アジアプロ野球チャンピオンシップ」で代表監督デビューを飾り、来年8月にジャカルタで開催のアジア大会、19年の第2回プレミア12、そして20年の東京五輪と4大会続けて指揮を執ることになる。
宣銅烈新監督は選ばれるべくして選ばれた。むしろ遅かったという表現こそ適切だろう。国内でサムスン、KIAの監督を歴任し、2度の優勝を果たしている。前述のように代表でも投手コーチは経験済み。日本(中日)でのプレー経験や、他ならぬ韓国内でも80年代の「国宝」と讃えられた活躍。さらに指導者としての経験、カリスマ性は他に類を見ない存在だった。なによりも短期決戦での投手起用は、前回のプレミア12でのブルペン防御率0.91という成績からも、彼の手腕の巧みさが窺える。
現在の監督候補に宣銅烈氏以上の人材は見当たらない。それでも今回まで実現しなかったのは、本人が固辞し続けていたからだ。
代表監督は勝てば大きな称賛を受けるが、ひとたび負ければ世論やマスコミから国賊のごとく叩かれる。決して割の合う役目ではない。そんな見方が韓国球界では根強い。いや、それは日本など他国でもそう変わらない。ただ、宣銅烈氏の場合はアジアシリーズの際に、そうした、いわば“天と地”を痛感した経験がある。
05年、06年と韓国で2連覇して臨んだ同大会で、同氏率いるサムスンは優勝を逸した。当時、メディアから叩かれこう嘆いた。「シーズン戦ってせっかく優勝しても、わずか数試合の大会で負けて、シーズン優勝が否定されるようでは堪らない」。
韓国世論は当時、国内の大会より国際大会に強い関心があった。五輪ともなれば尚更だが、WBCなど新設の国際大会でも、その度合いには日本以上のものがあった。ただ最近は、その熱もやや冷めがち。だからこそKBOとしても、切り札に登場願うしか選択は残されていなかったのだろう。3月の第4回WBCでは、金寅植というカリスマ監督をみたび引っ張り出し、それでも2次ラウンドに進出できなかった。いわばその弟子格ともいえる宣銅烈氏としては、もう要請に抗うことも出来なかった。
宣銅烈氏は、1985年に光州一高からヘテ・タイガース(現在のKIA)に入団。「爆撃機」の異名を施される豪球で、チームを6度、韓国シリーズ優勝に導いた。シーズンMVP5回、最多勝4回、奪三振王5回など、タイトルも数多い。通算は367試合の登板で146勝40敗、132セーブ、防御率1.20。68完投、29完封といった数字も、そのすごさを示している(完封数は今も歴代最高記録)。
96年から4シーズンは中日でプレーし、99年にはリーグ制覇にも貢献して現役を引退した。日本での通算成績は162試合で10勝4敗98セーブ。防御率2.70。(スポーツライター・木村公一)