アリ氏死去 闘い続けた最も偉大な王者
ボクシングの元世界ヘビー級王者で、米国で黒人差別撤廃の公民権運動の象徴でもあったモハメド・アリ氏が3日、死去した。74歳だった。呼吸器系の病気でアリゾナ州フェニックスの病院に入院したと伝えられた直後だった。60年ローマ五輪ライトヘビー級金メダリストで、プロ転向後は64年にヘビー級の世界王座に就き、9度防衛に成功。同級王座は合わせて19度防衛した。日本では76年に東京でプロレスラー、アントニオ猪木との異種格闘技戦で大きな関心を集めた。葬儀は8日にルイビルで執り行われる。
「チョウのように舞い、ハチのように刺す」-。最重量級とは思えない華麗なフットワーク、自らを「グレーテスト(偉大)」と称し、世界を魅了したアリ氏が、この世を去った。
「カシアス・クレイ」の名で、60年ローマ五輪のライトヘビー級で金メダルを獲得。帰国後、レストランで黒人の自分に対する扱いが変わらず「もうメダルは要らない」と川に投げ捨てた。プロに転向し、64年、圧倒的な不利が予想された中、世界ヘビー級王者のソニー・リストン(米国)に挑戦し、TKO勝ちした。
イスラム教に改宗して、アリに改名。9度の防衛に成功したが、67年にベトナム戦争の兵役を拒否したためタイトル、そしてボクサーライセンスも剥奪され、禁錮5年と罰金1万ドルを科された。そして、黒人解放運動に加わって体制と闘った。
約3年半のブランクの後、カムバックしたが、ジョー・フレージャー(米国)に初黒星を喫した。しかし74年、怪物ジョージ・フォアマン(米国)との一戦。絶頂期の王者に対し、たるんだロープを背にしてパンチをかわす絶妙の作戦でペースを乱し、8回にKO勝ち。「キンシャサの奇跡」という番狂わせを起こした。
その後も防衛を重ね、レオン・スピンクス(米国)に奪われたタイトルもすぐに奪回し、ヘビー級史上初の3度王座獲得の快挙を達成した。日本では76年のアントニオ猪木との異種格闘技戦が国民的関心事となった。
81年に引退。パーキンソン病で長い闘病生活を送ったが、96年アトランタ五輪では開会式で聖火台に火をともした。そして、五輪期間中、男子バスケットボール決勝で金メダルの再授与式が行われた。
2005年には米国市民最高の栄誉「大統領自由勲章」を受けた。最近では、米大統領選の共和党候補指名を確実にしたドナルド・トランプ氏が昨年末にイスラム教徒の入国禁止を唱えた際には「イスラム教を個人の利益追求のために利用しようとする人物」がいると強く非難した。
人種や宗教に対する差別とも積極的に闘った「反逆のカリスマ」。スポーツの枠を超えて存在感を放ち続けた史上最も偉大なボクサーだった。