万能選手だった元カープ・中東直己さんの今 不動産会社の営業マンに
広島で万能選手として活躍した呉市出身の中東直己さん(38)は16年の引退後、広島を拠点に不動産業を営む「株式会社 大和興産」に勤務している。引退から今年で3年。現在の仕事内容や現役時代の思い出などを聞いた。
広島市安佐南区の国道沿いにあるオフィスが中東さんの職場だ。「もう3年目になりました。あっという間ですね」。そう言って見せる笑顔は、現役当時と変わらない。
戦力外通告を受けた後、迷った末に12球団合同のトライアウトに参加した。カープのユニホームを着るのは、この日が最後。スタンドから声援を送った家族の前で、打って走って守ってと全力でプレーした。「見てもらえて良かった」。他球団からの連絡はなく現役引退を決断。それでも夢舞台で駆け抜けた10年間に後悔はなかった。
球団OBで元監督・山本浩二氏の紹介を経て入社した。現在は管理営業部に所属。主に安佐北区を担当し、オーナーが持つ不動産の資産運用、管理、保守、リフォーム提案、集金代行など、さまざまな業務に従事する。入社当初を振り返ると「パソコンもできなかったし苦労しました。大変な仕事だなと思いました」と苦笑いした。
飛び込み営業ではインターホン前で門前払いされたこともある。それでも「人と話をするのは苦手じゃないので」。明るく前向きな性格が長所。小学校のPTA会長を務めるなど、仕事以外でも意欲的にチャレンジしている。
「たくさんの人と話をして感じることは、本当にカープファンが多いということ。チームが負けたりすると、機嫌が悪い人もいます。だから広島の街にはすごい影響力があるんだって、改めて感じます。僕のことを知ってくださっている人もいて、本当にうれしいです」
呉市出身。06年度の大学・社会人ドラフト5位でホンダ鈴鹿から入団した。思い出に残っている試合は、11年8月30日のヤクルト戦(神宮)だ。2-2の延長十回2死から栗原が二塁打で出塁し代走としてグラウンドへ。丸の打席の暴投で、二塁から一気に勝ち越しの本塁を奪った。
「球が上に上がって。行けると思いました。初めてチームに貢献できたと思えた」。13年にはプロ初本塁打を放つなど1週間で3度のヒーローインタビューを受けたこともあるが、自分の武器を最大限に生かせたヤクルト戦が印象深いという。
ファンを喜ばせることも“仕事”だった。雨天コールドになった試合では上本と一緒にAKBの「恋するフォーチュンクッキー」の曲に合わせて踊った。「最初はヨギさん(梵選手)に言われたのかな。むちゃぶりですよね。中止になりそうになると、そっちのことしか頭になくて」。スタメン出場するより緊張感があった。それでも声援を送ってくれる鯉党を喜ばせるために必死だった。
不動産業は人と人をつなぐ仕事でもある。橋渡しをした人たちが笑顔になってくれるのが何よりも励みになっている。「野球をやっていたときも、いろいろな人に支えられ感謝しています。この仕事でも出会いを大切にしながら、頑張っていきたいです」。満面の笑みを浮かべながら言葉をつむいだ。(デイリースポーツ・市尻達拡)
◆中東直己(なかひがし・なおき)1981年10月5日生まれ、38歳。広島県呉市出身。現役時代は右投げ左打ちの外野手。背番号00。広島工から東亜大、JR西日本、ホンダ鈴鹿を経て2006年度大学・社会人ドラフト5位で広島入団。プロ1年目の07年4月14日・中日戦(広島)で初出場(代打)。同年のフレッシュオールスターでMVPを獲得。16年に戦力外通告を受け引退。通算成績は315試合71安打2本塁打16打点19盗塁、打率・233。