杏里・悲しみがとまらない秘話(中編)
角松敏生さんも私のメロディー・デモに喜び、アレンジをどうしようかという話になりました。「こんな感じ?」ってイントロやモータウン・サウンドのリズムのアイデアを伝えると、彼はそれをカセットに収め持ち帰りました。引き出し方がうまいんですよね。レコーディングが終わり届いた音を聴くと、何と私がミニキーボードで弾いたイントロのアレンジがそのまま使われ、そんなことから私の名もアレンジャーに加えられました。
感心したのは、角松敏生という人はすごくアメリカナイズされた考え方をできるんだなということでした。アーティストがプロデュースするにあたって日本の場合よくあるケースは、アーティスト本人が曲を書くのが多いし、まわりもそれを望むものなんですが、彼はプロデューサーに徹していましたね。
プロデューサーとしてヒットを出さなきゃならない、という概念みたいなものをきちっと持っていて、自分じゃない作詞家、作曲家に作品作りを委ねた。なかなかできることではありません。若いながらもミュージシャンとしてすごく頑固なアイデンティティーを持っている感じを受けました。
「悲しみがとまらない」に関しては、杏里さんと曲とのマッチングがとても良かったんだと思います。私は彼女に2曲提供していて、バラード「You Are Not Alone」も、とてもいい作品になりました。後に彼女がセルフリメークしています。
両曲とも作詞の康珍化さんとのコンビで、当時の杏里さんを位置づける意味で、すごく重要な作品であったと自負しています。アニメの主題歌の超特大ヒットから、うまくアーティスト性を表現できるようにスライドしていったと思います。ボーカリストとしてこんなに魅力がある人だったんだと、関わってみて感じました。
「You-」の歌入れがあった時、スタジオで本人に会いました。「モデルさんだと思ってたんですよ」「えーっ!それは違いますよ~」というあいさつ代わりの会話だった記憶がありますが、失礼なことを言ったものです。マイクが拾ったその声は、素晴らしい!のひと言でした。
セルフリメークはその楽曲に思い入れがあるということですから、メロディーの送り手にとってもすごくうれしい。アーティストにとって名刺のような作品になっているのは、作家みょうりに尽きることなのです。
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林哲司(はやし・てつじ)1949年8月29日生まれ、静岡県出身。持ち前の洋楽センスで「悲しい色やね」「悲しみがとまらない」「北ウイング」など多くのヒット曲を作曲。2015年、アルバム「Touch the Sun」発表。