成功アイドルは資質&送り手側の体制がしっかり
林哲司初の1位は原田知世の「天国にいちばん近い島」で、菊池桃子では7作連続1位を達成した。松田聖子、中森明菜ら多くのアイドルに膨大な楽曲を提供した林が、アイドル論を語る。
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私は、アイドル・ソングとはいえメロディーの起伏が少なく、キラキラと輝くサウンドや振り付けが施された従来のものが好きではなかった。楽曲がもう少し音楽性のあるものだといい-という気持ちをずっと抱えていました。アイドルには哀愁感漂う音楽は地味だと考えられていましたね。そして、自分なりの音楽性で全アルバム、全曲を担当させてもらえたのがソロ時代の菊池桃子さんでした。
成功したアイドルは、本人の資質はもちろん、送り手側の体制が制作から宣伝、営業に至るまで、とてもしっかりしていると思います。杉山清貴&オメガトライブも手がけたプロデューサーの藤田浩一さんは、革新的な感覚を持っていました。
例えば、従来のアイドルのジャケットは俗に言うニコパチ(笑顔のポートレイト的なもの)でした。レコード店のディスプレイではっきり分かるからです。しかし彼は「内容が表されたジャケットで、大学生でも持てるアルバムにしたい」と考えていました。
音楽に関しては、シングルと作詞を除き全て私に委ねられていました。私がデモを作る時間がなく、スタジオで音が出て初めて皆がその曲を知るということもしばしばでした。信頼を得ると、クリエイターは存分に力を発揮するものです。ポップスのアーティストが歌っても遜色のないアルバムを意識し、曲とサウンドを作り続けました。それがプロデューサーのコンセプトにも合致していました。
杉山さんが「林さんのメロディーは易しそうに聴こえるけど難しい」と言っていたことがあったけど、菊池さんも歌いこなすのは非常に難しかったと思います。今のように歌をデジタル処理できる時代ではなかったし、同じパートを難度も忍耐強く歌っていたのを記憶しています。スタジオの片隅で涙していた姿もあったかな。
アイドルの仕事は、作品力だけではない付加価値があるところが現象として面白い。私は菊池さんを通してアイドルが成長していく過程を見てきましたが、多くのファンが声援を送り反応している姿をコンサート会場の後ろから見ていて、送り手としての喜びをかみしめていました。