三國連太郎(上)まんじゅう配る名優
私のデビュー作となった映画「旅の重さ」(松竹、1972年公開)。当時、文学座の研究生だった私は19歳で、いきなりの主演でした。この映画で共演させていただいた三國連太郎さんを2回に分けて語りましょう。
四国でオールロケし、家出した放浪中の少女は旅の一座と出会います。三國さんがその座長役で、監督は斎藤耕一。吉田拓郎さんの「今日までそして明日から」が挿入歌として使われていました。
あれは愛媛県の宇和島でした。
当時のロケ現場は悠長でしてね。雨が降って撮影ができないと、宿で麻雀やったり、飲んだりして時間をつぶしていました。三國さんはどこで見つけられたのか、和菓子屋さんがお菓子を入れる大きな木箱を持って来て、中にはおまんじゅうがいっぱいつまってて、その箱ごと差し入れしてくれるんです。あの頃、三國さんはお酒もタバコもやめて甘党になってるって、スタッフから聞かされていました。
「まんじゅう一つ、どうですか~」。スタッフみんなは辛党で、水割りとか飲んでいるというのに、三國さんは麻雀台をまわって、まんじゅうを一人一人に配っている。面白い人だなと思いました。
斎藤監督には「この少女の役はね、三國さんを好きになるんだ。年は離れていてもお父さんじゃなくて、そこに男を感じるんだ。年の差なんか超えて、自分が求めるのはこの人だって思うんだよ」と言われました。
旅館の舞台で少し稽古をしたのですが、そのあとがいけません。三國さんは監督にこういったそうです。「役者はね、犬猫、子供にはかなわないっていうでしょう。あの子はそれだよ。だからね、何だかやりたくないの」。つまり、三國さんがどう芝居を変えようと、素人の私は犬のように三國さんをジッと見つめていたんだと思います。
少女のセリフも、歳を気にする座長の三國さんに向かって、「でも素敵だと思います!」ときっぱり言う。画面では私はムキになって直角に言ってる感じでした。その真剣なまなざしが、犬や子供なんでしょうね。
ベテランの三國さんはいろいろ芝居のニュアンスを変えるけど、私は未熟でそれに全く対応できなかった。でも、映画をよく知ってる三國さんは、そういうピュアな新人には負けると分かっているから、やりたくないと言った、その裏には「困ったな~」という気持ちが強かったんでしょうね。当時の私は劇団の卵だったし、自分では精一杯演じているつもりだったんですけど、でも、それを監督から聞かされた時、「が~ん…!」でしたね(笑)。