「タイガース?なんぼのもんや」
1996(平成8)年の夏、「オーナーお言葉ですが、もう少し、タイガースに(本社が)力を注がないとだめでしょ?」と電鉄航空営業部(主に海外旅行)から出向してきたばかりの野崎勝義(この時は常務。54歳)が静かな口調で喋り始めると、久万俊二郎は眉をひそめてぷいと横を向いた。久万の不機嫌そうな顔を見ながら、野崎はひるまず、久万を責めた。
「世間のタイガースへの評判をご存知ですか」「私ら航空の営業マンはあまりにもタイガースが 弱いので肩身の狭い思いをしているのです」
久万の口が歪むのが目に浮かぶが、おのいえない野崎は勤務地の東京で虎党の顧客から散々、惨状タイガースへの小言をさんざん聞かされた悔しさがあるだけに、相手が久万だからこそと苦言を吐き出した。
あれは星野仙一を監督に招いた2002年、久万は星野からは野崎の比ではない、もっときついことを言われた。「阪神が弱いのはオーナーあなたの責任です」「オーナーに就かれて何年です?18年目?それで優勝がたったの一度?そりゃあオーナーがよくないからだなあ(爆笑)」と言われてもうむ、うむというだけだったが、身内の部下の野崎ならそうはいかない。まるで説教をくらっているようで、久万の(かんしゃく)の緒が切れた。
「キミね。タイガース、タイガースというけどな、タイガースがなんぼのもんや。年商いうてみろ。100億あるんか?ないんやろ?タイガースなんてちっちゃな会社や。比べてな、電鉄は3000億円や。わかったか。わかったらタイガース、タイガースいうて騒ぐんやないっ」
以来、どつき、どつかれながら久万と野崎(2001年から球団社長)は10年を越えてコンビを組む。当時の久万の側近や球団職員らは「久万さんは年柄年中、野崎さんを叱ってた。でも野崎さんはえらい、というかすごいというかへこたらなかった。野崎さんはなんたってあの渡邉さんにも反抗するんやからね」と苦笑しながら述懐する。
タイガースを見下げるような視点は久万俊二郎に限らなかった。選手や施設にカネもたいそうに掛けず、そこそこに勝って、庶民が楽しんでくれたらええ、球団は儲けてくれるに越したことはないが、赤字さえださなかったらええ、まあ、これはちょっと冗談をこめていうんやが、優勝したらそら選手の年俸を上げないかん。カネがいるがな。巨人とええ試合をし、2位が阪神タイガースゆうのがええな。がははは。そうそう、読売とはあそこのいうことを聞いてりゃあええ。うちはジャイアンツ戦で甲子園球場が満員になり、おかげで黒字や。読売に逆ろうたらあかん。あそことは喧嘩したらあかんのや。
球団創設以来、どのオーナーも電鉄役員も異口同音であった。勿論、表向きには伝統の一戦です。巨人軍には勝ってもらわんとなあ。とマスコミには言い続けてきたがすべて二枚舌。彼ら阪神電鉄のトップは大よそがオーナーに右にならえであった。
野崎は球界音痴だったことがあり、「巨人と喧嘩したらあかん」と(いさ)める久万がいかにも弱腰に思えた。「いつまでも巨人に隷(れい)属してどないする」。 野崎の巨人への反抗が加速するのは巨人の渡邉恒雄が1リーグ制を唱え、表面化(2004年)した頃である。(敬称略)