阪神・大和、FAでDeNA移籍…今まで虎でプレーしてくれてありがとう!
阪神からFA宣言した大和内野手が、DeNAに入団することが決まりました。2018年からは同一リーグで戦う敵に…。悲しいけれど、幾度となくチームの窮地を救ってくれた“虎の大和”の雄姿を振り返ります!
公開日:2017.12.3
【2008年2月21日デイリースポーツ紙面より】
1軍の沖縄キャンプから“強制送還”され、2軍に合流していた阪神・大和内野手(20)が、紅白戦で意地を見せた。
六回一死、フルカウントからの7球目。小嶋のインコース低めをすくい上げ、レフトスタンドに放り込んだ。見事に結果を出した大和だが「まぐれッス」と、自ちょう気味に笑った。
2年目の野原とともに1軍キャンプに抜てきされたが、アピールできずに、12日には無念の2軍行きを言い渡された。13日に安芸入りし、そこからの1週間は特打、特守に明け暮れた。何とか出した結果にも、岡田監督の反応は冷たかったが「沖縄のこともあったし、どこかでアピールしないと見てもらえない」とどん欲な姿勢を見せた。
四回二死二塁では、狩野の三遊間へのゴロをさばき、定評のある守備でも魅せた。「ずっとアピールしていきたいところですから」。守って、打って、走る。大和がハツラツとグラウンドを駆け巡れば、指揮官が振り向いてくれる日がくるはずだ。
2009年、ついに1軍昇格!
【2009年4月14日デイリースポーツ紙面より】
阪神・坂克彦内野手(23)に代わってプロ4年目の大和内野手(21)が14日に初めて1軍昇格することが13日、明らかになった。
(中略)
初の1軍入りとなる大和は樟南高から05年ドラフト4位で入団、遊撃を中心に二塁など堅実な守備がウリの内野手。今季、2軍では9試合に出場し、打率・129。打撃はようやく不調から抜け出したばかりと多くは期待できないが、守備と俊足と走塁センスの良さは高い評価を受けている。当面は代走のスペシャリストとして期待がかかる。
その後、結果を残せず降格となりますが、夏に再昇格。そして…。
【2009年7月23日デイリースポーツ紙面より】
特別な思いをもって打席に立っていた。とにかく打ちたいという気持ちだけが大和の頭の中を占めていた。
大和の父方の祖母であるスミエさんは、大の阪神ファンで、特に吉田義男氏のファンだった。入団1年目のときの大和は、吉田氏のサインをもらい祖母にプレゼントした。
自分をいつも応援してくれていたスミエさん。だが、スミエさんは今年初めに他界した。亡くなる前、春季キャンプ中だった大和に球団関係者は、いったん地元に帰ることも勧めた。それでも、今年にかける思いがあった。「1軍にいて試合に出られるチャンスだから帰らなかった」。巡ってきたチャンスをものにするため、込み上げる思いを胸にしまって練習試合で必死にアピールした。
7月5日に2度目の昇格。この日は、積極的にバットを振った。四回2死一塁の第1打席。館山に追い込まれながらも中堅前にポトリと落ちる当たりを放ち、プロ初安打を記録。六回2死一塁では館山の初球をたたくと、打球は三塁線を鋭く抜ける二塁打でプロ2本目の安打を放った。
23日からオールスター休みのために地元・鹿児島に帰る予定。「ボールも届けられるし、(祖母に)報告できます」と大和。プロ初安打は祖母にささげる感謝の安打だった。
【2009年8月5日デイリースポーツ紙面より】
虎の「夏のロード」初戦は完敗だった。上昇気配を見せていた打線がチェンに今季最少タイの2安打に抑え込まれ、今季5度目の完封負けだ。しかし、重い敗戦の中で新星がキラリ。「2番・二塁」でプロ初スタメンの大和内野手(21)がその2安打を放ち、1人で無安打無得点負けを阻止した。奇跡の逆襲へ、新しい力が芽生えつつある。
(中略)
「球が速かったのでバットを短く持つことを考えた」。初回の凡退から柔軟に修正点を見つけ出すと、次の打席で早くも結果を出した。
四回にチーム初安打となる右前打を放つと、七回の第3打席にはチェンの初球、内角146キロを中堅左に運び、気迫のヘッドスライディングで二塁を陥れた。苦しい展開の中での貴重なチャンスメーク。反撃の手掛かりすらつかめない打線を、若虎の果敢なスイングが鼓舞し続けた。
これを機に、大和は1軍の戦力として活躍していくことになります。