阪神・岩田稔が引退…持病抱えながら熱く戦い続けた虎一筋16年
阪神・岩田稔が引退しました。05年ドラフト希望枠で入団。1型糖尿病を抱えながら猛虎に欠かせぬ戦力として活躍、また慈善活動も積極的に行ってきました。熱き男の16年をデイリースポーツ紙面で振り返ります。
公開日:2021.10.5
05年ドラフト大学生希望枠で阪神入団
【2005年11月9日デイリースポーツ紙面より】
◆希望枠で阪神入団決定!岩田稔、糖尿病と闘う150キロ左腕
阪神・牧田俊洋球団社長(55)らが8日、大阪・吹田の関西大学を訪れ、岩田稔投手(22)に対し、希望入団枠での指名方針を伝えた。糖尿病と闘いながらプレーしてきた岩田は、プロの世界で活躍することで、同じ病気の人たちに勇気を与えることを決意。
(中略)
「病気を持ってますけど、夢を持って頑張ればプロになれるんだと、同じ糖尿病の人に分かってもらいたい。その代表として、活躍することで勇気を与えたい」
高校2年の時に糖尿病を患い、現在も月に1度の通院と、1日4回、朝、昼、晩、就寝前に、腹部へのインスリン注射を欠かさない。自ら血糖値を測って、ハリを突き刺す毎日。ハンディとは思いたくない。苦しくても、乗り越えれば素晴らしい日々が待っていた。
(中略)
「左右の違いはありますけど、村山実さんが目標。関大の先輩で、負けないように頑張りたい。テレビで、白黒ですけど、昔の天覧試合とかを見たことあります。ザトペック投法ですね」
同じ名前というのも、運命か。目指すは、永久欠番の背番号「11」が。同席した野球部の土佐秀夫監督から「自分の背番号で、永久欠番を勝ち取って欲しい」とゲキを飛ばされ「それぐらい頑張れればいい」と意気込んだ。
【2005年12月7日デイリースポーツ紙面より】
◆希望枠・岩田 新人王ボディー!すべての数値でチーム平均超え
今ドラフトで阪神に入団が決まった岩田稔投手(22)=関大、金村大裕投手(22)=大商大、鶴直人投手(18)=近大付、若竹竜士投手(17)=育英=の4人が6日、甲子園で体力測定を行った。中でも希望枠の岩田はチーム平均を上回る背筋205キロをたたき出すなど、非凡さをアピール。
(中略)
測定に立ち会った石原チーフトレーナー補佐は「岩田はどれもチーム平均を上回っていた。ぱっと見た感じアスリート体形だと思った。球児と久保田の中間かな。似ている選手を挙げるとすれば、藪が入ってきたときかな」と証言。94年に阪神で新人王を獲得した大リーガーを引き合いに出し、レベルの高さを称賛した。
これを伝え聞いた岩田の表情は明るかった。「コントロールのいい投手ですよね。そう言われれば正直うれしい。自分がそうなれるかどうかは、分からないですけど」と謙遜(けんそん)しながらも笑顔。1年目から先発ローテーション入りし、活躍した先輩に倣い大ブレークするつもりだ。
【2005年12月7日デイリースポーツ紙面より】
◆夢は、希望枠・岩田シート そして永久欠番「21」
阪神の新人選手6人の入団発表会が8日、大阪市内のホテルで行われた。希望枠で入団した関大・岩田稔投手(22)は、将来的に「岩田シート」を作る希望があることを明らかにした。
(中略)
「すごく感激しています。うれしい気持ちでいっぱい。格好いいですね」。プロとしての実感がわき上がり、一つの目標が見えてきた。自分がそうだったように、子供たちにも夢を持ってもらいたい。岩田が、将来、甲子園スタンドに「岩田シート」を設置したい希望を打ち明けた。
「子供たちに夢を持ってもらえるような選手になりたい。ファンが入ってのプロ野球ですし、応援してもらえる人が多い方がいい。(シートを作ることは)やってみたいですね」
まだ具体的なプランは描いていないが、何かをしたいという気持ちが強い。既に告白しているように自身が糖尿病と闘う身。小さな子供たちや、同じ病気にかかっている人たちに、甲子園で夢や勇気を見つけてもらいたい。そのためにシートを提供する。
ホロ苦デビュー、浴びた〝プロの洗礼〟
大きな期待を背負ってプロの世界に飛び込んだ岩田。しかしそのデビューはホロ苦いものに。