【野球】元三冠王ブーマー氏が伝えたかったこと 変わらないスマイルの意味は…
京セラドーム大阪に懐かしい顔を見た。2メートルの長身、現役時代の100キロよりはるかに増量したように見える巨体の黒人。阪急、オリックス、ダイエーで活躍したブーマー・ウェルズ氏だ。容姿は変わっても甲高い声とニッコリと見せるスマイルは変わらない。
かつての同僚であるオリックス・福良監督、OBの福本豊氏、ソフトバンクの佐藤義則投手コーチ、藤井康雄打撃コーチと談笑、旧交を温めた。
「懐かしい仲間に会いに来たんだ」というプライベートでの来日。現在は米国アトランタで学生から子どもまで打撃を教えているという。これを聞いた福良監督のリクエストで伊藤に打撃指導。
「リラックスして打つことを伝えた。練習では“感触がよかった”と言っていたよ。いい打者を指導するのは楽しいね」
1984年には三冠王を獲得。チームを優勝に導くなど史上最強助っ人の一人に挙げられる。福良監督は当時を振り返り「とても頭のいい選手だった。4番打者は走者が走ることを嫌う人もいるけど、ブーマーは“どんどん走ってくれ。そうしたら投手はストレートを投げてくれる”って言ってた。パワーだけじゃなくて、技術も配球を読むこともできた」と話す。
そんなブーマー氏が熱弁をふるったのが、日本での思い出を問われたときだ。
「いつも笑っているイメージだね。ウエダ(上田利治監督)はとても優しい人だったしね。仕事じゃないのか?って思われるかしれないけど、楽しかった。野球は楽しむものなんだ。打てなくてもエラーしてもベンチで笑いに変えていた。いいチームメートだったよ。その代わりオフは仕事だった。米国に帰ってハードなトレーニングをした。そして日本に来れば野球を楽しんだ。そんな日々だったね」
厳しいことで知られた上田監督のことも、常勝軍団だった阪急、オリックスも楽しい時間だったと懐かしんだ。言われてみれば、あのころ思い出すのはブーマー氏の笑顔だ。
最下位に沈むオリックスへのエールは「若いチーム。試合の中でいろんなことを学んでいけばいい」と言った。
難しいことは言わない。失敗して笑って、またやり直す。野球を楽しめ。最強助っ人が後輩たちに残したのは原点だった。(デイリースポーツ・達野淳司)