【野球】谷佳知&亮子夫妻の息子2人がアイスホッケーから野球に転向した理由 コロナが分岐点 目標はプロ野球選手
走攻守三拍子そろった外野手としてオリックス、巨人で活躍した谷佳知氏(52)。19年間で通算1928安打を記録し、最多安打、盗塁王のタイトルも獲得し、ベストナインを5回、ゴールデングラブを4回受賞した。2015年に引退した名手が、自身と同じプロ野球選手を目指す2人の息子、女子柔道の2大会連続金メダリストである妻・亮子さんとの子育てについて語った。
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東京が季節外れの雪に見舞われた3月19日、谷氏は亮子さんとともに次男、晃明(こうめい)さんの中学の卒業式に出席した。亮子さんはインスタグラムに谷氏が撮影した晃明さんとの笑顔の2ショットをアップ。これまでの感謝がつづられた手紙を渡された谷氏は息子の成長をかみしめた。
中学で浦安シニア(千葉)の内野手として活躍した晃明さんは、4月から昨年のセンバツ4強である中央学院(千葉)へ進み、甲子園を目指すという。長男の佳亮(よしあき)さんは昨春に東京学館浦安高から東都の名門、駒大野球部に入部しており、寮生活は1年が過ぎている。
「2人とも寮生になるから寂しくなるんですけど、僕も高校から寮に入ったので、それはいいかなと」。自身が甲子園を目指して出身地の大阪から香川の尽誠学園へと進んだ当時を思い起こした。
「上下関係の厳しさとか、親元を離れて自分でなんでもしないといけないのはすごく勉強になったし成長させてもらったので感謝してます。先輩のお世話、洗濯、掃除も当たり前のようにできるようになりましたし。電話をかけるのに10円玉をたくさん持って順番待ちしましたね」
2人の息子は元々野球をやっていたわけではない。「野球、柔道は子どもが大変じゃないですか。できて当たり前だろうって思われるから。だから、自分の好きなスポーツをやればいいという教育だったんです」
プロ野球の世界で19年にわたって第一線で活躍した父、柔道の道を究めた母。そんな両親を持つ子どもたちに、重圧をかけたくない思いがあった。
子どもたちはテニス、サッカーなどを経て、小学生からアイスホッケーに没頭。そんな2人を可能な限り夫婦でサポートしてきた。谷氏は練習を手伝うために奮起。「妻はスケートをやったことがあったから滑れるんですけど、自分は全くできなかったんで、リンクでバタバタ転びながら練習して、だいぶできるようになりました」
より高いレベルを目指し、息子たちは海外でアイスホッケーに打ち込む夢を抱いていたが、コロナ禍がそれを打ち砕いた。渡航ができないなど競技環境が厳しくなったことで、違う道を歩む決断を下したのだ。
「自分から言ってきたんです。『今まで言ってなかったけど、俺、ちょっと野球をやりたかった』っていう話になって。そこからです。兄ちゃんがやるって言ったんで、弟も一緒にやろうと」
谷氏は、中学3年でアイスホッケーをやめた佳亮さんを高校入学までの3、4カ月間特訓。野球未経験だったにもかかわらず、佳亮さんはサラブレッドらしく頭角を現し、高校2年秋から外野のレギュラーに。3年の夏の予選では2戦連続本塁打を放つなど勝負強い打撃で注目を集めた。
「高校からなんて普通で考えたらできないですよ。ようやってるなと思います。この春からは大学でちょっと試合に出してもらったりとか、少しずつ成長しているなと」
兄弟そろって将来はプロ野球選手になることを目標にしている。
「『お父さんのようになりたい』と言ってくれるのは、すごいうれしいかな。他のスポーツだったら自分が勉強しないといけないから大変なんで」と顔をほころばせた。
2人への思いを「期待をされて大変かもしれないけど、楽しみもあると思う。自分で成長する機会だし、どれだけの実力が出せるか試せるところ。僕よりさらに上に行ってほしい」と明かす。
2015年に引退し、子どもが生まれてからの人生を「夫婦で子育てに全力を注いできた」と言い切る。その子育ても一つの節目を迎えた。2人とも親元を離れることで、今後は夫婦2人暮らしが始まる。
「今のところ想像がつかないですけどね」と言いつつ、「夫婦2人でどこかに行く機会も増えるかも。子どもたちの試合の応援には行きます」と優しい表情を見せる。
先日、亮子さんがテレビ出演した際に打ち明けて話題になったのが、自宅で谷氏に、つい柔道の技をかけてしまうこと。
「そうなんですよ。蹴ったり技をかけてきたり、結構してくるんですよ。スキを見つけたらやるっていうのがあるみたいで。めっちゃ痛いんですよ」と苦笑い。「不意打ちは止めて」とジョーク交じりに“クレーム”をつけた谷氏だが、息子2人のさらなる成長を願い、アスリート夫婦はこれからも結束を深めていく。
(デイリースポーツ・若林みどり)
谷佳知(たに・よしとも)1973年2月9日生まれ。大阪府出身。現役時代は右投右打の外野手。尽誠学園から大阪商大、三菱自動車岡崎を経て、96年度のドラフト2位でオリックス入り。2007年にトレードで巨人に移籍し、14年にオリックス復帰。プロ19年で1888試合に出場、打率・297、1928安打、741打点、167盗塁。96年アトランタ、04年アテネ五輪日本代表。
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