【芸能】レオス・カラックス、最新作「イッツ・ノット・ミー」を語る「私自身がものすごくカオス。この映画はカオスがそのまま生きて描かれている」
デビュー作「ボーイ・ミーツ・ガール」(1983年)に始まる3部作でフランス映画の“恐るべき子供”として脚光を浴び、その後もカンヌ国際映画祭で監督賞に選ばれた「アネット」(2021年)など一作ごとに世界的な注目を集めるフランスの巨匠、レオス・カラックス監督(64)が来日し、最新作「イッツ・ノット・ミー」(4月26日公開)の先行上映会とQ&Aイベントが24日、東京・渋谷のユーロスペースで開催された。
新作は新たに撮影された映像、過去の映画や本、音楽、写真、記録映像などがコラージュされた42分間の中編で、タイトルとは裏腹に、カラックス監督の思索や記憶が張り巡らされた自画像的な内容になっている。
イベントでは質疑応答が行われ、ファンからの熱意ある質問を受けたカラックス監督は、時折笑みを浮かべながら、丁寧に答えていった。カラックス監督が本作を制作するにあたっての経緯や思考や方法、映画に限らず生きて行く上での考え方などを40分以上にわたって明かした、質疑応答を紹介する。
◇ ◇
-ジャン=リュック・ゴダールの死去、ウクライナの戦争が制作の大きな動機になったのか
「そうではない。この映画を作り始めたのはそういったことが起きる前だった。最初にポンピドー・センターから言われたのは、10分ぐらいのセルフポートレート的なショートフィルムを展覧会用に作ってくれということだった。私は1人で編集をする作業のプロセスがすごく好きだった。ホームムービーのように家で作っていたわけだが、犬や娘に囲まれて。夜にイメージがいろいろ浮かび、日中それを編集するという作業だった。それをやっている間にウクライナの戦争が始まり、またゴダールが自裁を決意したということで、もちろんそういったことはこの映画に影響を与えている」
-この作品には過去の作品がちりばめられている。編集する上でどのような感情があったか
「最初は自分の映画をもう一回見るのは、立ち戻るのは好きではないんだろうなと思った。今まではあまり見ていなかったし。でも実際にやり始めたら、自分の映画をもう一回見ることが実は好きだった。家で映画を作るというプロセスがすごく好きだった。こういうことはすごく不思議な感じがしたんだけど、すごくいいと思うので皆やった方がいいと思う。特に子供がやった方がいいと思う。学校でなぜやらないんだろうと思うが、2~3年おきに、絵であれ音楽であれ、なんでもいいんだけど、数年ごとに自分を振り返って、自分自身を見る、あるいは自分を取り囲んでいる世界を見るということをやるといいと思う。画家は鏡を使って自画像を描くよね。私は作っている時に鏡が後ろにあるような感じがした。後ろから自分を見ているような感じがした。郷愁、ノスタルジックなものは好きではない。私はむしろ怒っていたい、激怒していたいと思っている」
-ラストは人形を使った演出だった
「人形遣いは若いフランスの男女で、彼らが人形も作った。『アネット』のために作った人形なんだけど、私はこの2人が大好きで、『アネット』の人形も好きで、また見たいと思った。この映画では20世紀と21世紀を私の中でつなげたいと思った。ここを撮影した時に、使わないつもりだったが、とても美しく撮れたし、人形師に非常に敬意を持っていたので、素晴らしい芸術だと思ったので使った」
-どのように新撮部分を選んだのか
「最初は全然撮影しないつもりだった。自分の今までの作品と自分がiPhoneで取ったもの、夜に自分の声を録音したものだけを使おうと思った。映画を作っているうちに、連作というのか、自分がやって、相手に何かを書いて渡して、相手がまた何かを付け加えてをやってる間、自分が今どうなってるか分かった分からない、そういうパズルみたいなゲームがあるが、そういう感じでやっていた時に、イメージで足りないものがあるなと思った。そのイメージが、こういうものが欲しいなとなった時に、取りあえずYouTubeを探して取ったものを使って、後でそれを自分のものに取り換えた。そんなことをしている間にウクライナで戦争が起こり、ウクライナには行けなかったが、若い女優2人に子供の母親という状況を作ったり、ムッシュー・メルド(ドニ・ラヴァンがオムニバス映画『TOKYO!』の『メルド』で演じた役)にまた会いたくなった。即興で1週間ぐらいで撮影した。パリの地下鉄や公園で撮った。カロリーヌ・サンプティエ(撮影)と1週間で撮った」
-「世界の美がまばたきを求めている」といったところに心を動かされた。作品を作り続ける原動力はどこから来るのか
「(笑顔で)たぶん他にできるものがないからだと思う。映画作家の多くは、全員とは言わないが、たぶん映画作りしかできないと思う。私は他のことができなくて、セットもデザインできないし、詩も書けないということがあると思う。人生を振り返ってみると、映画を作っていない、作れない時期の方が長いけれども、それでもいいかなと思っている」
-ジャン=イヴ・エスコフィエ(アレックス三部作の撮影監督)やジュリエット・ビノシュ(「汚れた血」「ポンヌフの恋人」の主演女優)と衝突して別れている。映画を作る上で衝突は必要だったのか、多少の後悔はあるのか
「(沈黙してから)それが人生だと思う。たぶん皆さんも同じだと思うが、非常に大恋愛をして、ケンカをして、別れるとか離婚するとか、死別もあると思う。僕らはすごく若かったということもある。この映画はジャン=イヴ・エスコフィエにささげてある。彼は最初に会った撮影監督で、最初に一緒に撮って、3作を一緒に撮った。彼は10歳上で、兄のような、友人のような存在だった。彼にものすごくいろんなものを負っているなと感じている。彼と別れ、彼は亡くなった。デジタル(による自身の映画撮影)が始まる前だった。私はフィルムはジャン=イヴ・エスコフィエと撮るから、彼が亡くなったから、これからはデジタルということでデジタルで撮るようになった。それぐらいしか思い浮かばない(笑顔に)」
-思索の変遷として受け取った時に、あなたが見てきた映画やニュース映像、日頃から見ている映像やちょっと思いついた映像、記憶などの混沌(こんとん)の中から、何か映画を作る動機や企画が生まれたのか。思いつきが企画に至るまでのプロセスは
「映画の中でも言っていると思うが、私自身がものすごくカオスなんだ。いいに付け悪いに付け自分自身は非常にカオスだというように自分を見ている。そういうカオスの中で生きていると、一緒に何かを作ってくれる人たちが出てくる。そのカオスを理解してくれる、共有してくれる人が出てきて、私がカオスに形を与えることを助けてくれる。映画は一人ではできないので、一緒に作りたいようないい人に出会うチャンスをいつも探していると思う。そういう人たちに会える大きなチャンス、運も必要だ。ジャン=イヴやドニにも会えたし、その後いろんな人に会った。そういった人たちがいたからこういった映画が作れたわけで、彼らに出会わなかったらこういった映画にならなかったし、違う映画になっていたと思う。この映画はフィクションじゃないので、カオスがそのまま生きて描かれていると思う。私は不眠症なので、夜に眠れなくていろいろ思いついたり想像したものを日中に編集したわけだが、夜に思い描いたものを投影していく形で作っていった。そういった形で編集するのがすごく好きだった」
(男性客ばかりが質問するため、「日本には女がいないのか?」と笑顔でジョークも)
-文学からの影響は
「私は映画以外に何もできないと言ったが、一番いいなと思うのは音楽なんだ。音楽が人生にあるとすごく美しいと思う。音楽があればピアノを弾いたり、作曲したり、歌ったり、踊ったりもできる、そういうのが私が夢みた人生で、それはできないが、映画づくりは、自分にとっては作曲している感じがする。私自身はそんなに才能がないが、イメージがあって、詩があって、音楽があってということが、映画の中でできるような気がする。私はずっとたくさん本を読んでいる。いつも2冊を読んでいて、日中に読む本と夜に読む本がある。あまりにもたくさんの本を読み過ぎていて、あまりにもたくさんの作家が自分にとってとても重要だ」
-編集で感覚とロジックのどちらが大切だと思っているか
「願わくばだが、編集することで音楽が作れたらいいなというように思っている。私は25歳からずっと同じ編集者(ネリー・ケティエ。今回はカラックス自身が編集)を使っていて、いつも編集している時は(編集者の)側にいた。編集している時はなんとなく、時には作曲している気分になれた。もし私が映画を作れなくなったら編集者になってもいいかなぐらいに思っている」
-「ボーイ・ミーツ・ガール」から「アネット」まで、親を亡くすことがテーマになっている。今回もキング・ヴィダー監督の映画「群衆」(1928年)の、主人公が父を失ったことを知らされるシーンが引用されている。孤児という存在はあなたが映画史で深く孤立しているということと考えていいか
「そういうことは知らなかった。子供のころ、私は孤児になりたかった。孤児だったらいいな、素晴らしいだろうし、ひどいかなとも思った。自分が父親になってみて、少し違う視点になってきている。私が青年だった時に映画を発見していって、すごく大事なことだった。映画は存在していて、実際にそこに行って見られた。私が見始めた時はあまり女性監督はいなくて、ほとんど男性だった。今は少し増えているが、映画史的にそんなにいなかった。映画を見ていて、サイレントだったり、日本映画だったり、ヌーベルバーグだったり、アメリカ映画だったり、でも作ってる人はほとんど死んでいるわけだ。映画は美しい墓場のような感じがした。そこに見に行くと、自分の父を見つけることができたような気がして、自分の父を作り上げた。そういうことがみんなに許されるべきだと思う。自分の父を作る。私は12~13歳の時に名前を変えた。名前を変えることは全部の子供に許されるべきだと思っている。ずっと父親と同じ姓でいたいのかな。自分で選べるといいと思う」
-主観とは
「考えたことがない。主観の反対、客観も考えたことがない。私たちは皆、主観的な世界に生きていて、主観的な心で生きている。これが合っている合っていないというサインがあったらいいが。でもその中で一体何がリアリティーなのか、なぜリアリティーがこういう状態になっているのかということを考えているような気がする。道筋を見いだそうとしているような気がする。カオスがそんなに悪いこととは思わない。世界のカオスとは違う意味で、イメージの上でのカオスということだが、世界のカオスがいろんなイメージを作っていって、そのイメージが自分に押し寄せてくるということがある。本当にクリーンな目や耳を持つことがすごく難しくなっていると思う。しっかりしたビジョンを持つこと難しくなっていると思う。いろんなものを見ることができなくなっている、すごく難しくなってるが、私たちは努力し続けなければならないと思う」
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