【野球】上田利治氏の猛練習に育てられた選手たち

 記者が入社1年目でロッテ担当だった2005年、福岡遠征に行った際にはデイリースポーツ評論家を務めていた上田利治氏から、必ずと言っていいほど福岡市内の焼き鳥店に呼ばれた。その日の試合のポイント、監督のさい配、選手の動き-。そんな野球談義は深夜まで及んだ。

 監督生活20年間で通算1322勝。最下位経験は一度もなく、阪急時代にはリーグ優勝が5度、日本一3度の輝かしい実績を残した。「ええで、ええで」と選手を褒める独特の“ええで節”はプロ野球ファンにも親しまれた。

 「いいプレーを見逃したら、それは指導者の責任」-。そう熱く語っていたのが今も記憶に残る。だが2017年7月1日、肺炎のため他界。自分が知る晩年の上田利治氏は、いつも優しく語りかけてくれる好々爺(や)のイメージが強かった。ただゆかりのある方々にウエさんの印象を聞いていくと、対照的に意外な事実が浮かび上がってきた。

 試合では勝負師であり、優しい表情で選手たちを励ます一方、キャンプなどで訴えていたのが「練習の大切さ」-。17年当時、阪神で1軍打撃コーチを務めていた片岡氏にこんなエピソードをうかがった。鴨川での秋季キャンプ、まだ若手だった片岡氏は徹底的にバットを振り込まされた。だが球場にはナイター設備がないため、ボールが見えなくなれば練習も終わると思っていたという。

 いよいよボールが見えなくなってきた矢先、ウエさんはスタッフに命じ、数台の車を用意。そのライトでグラウンドを照らしたという。日が暮れても徹底的にバットを振らされた日々。片岡氏は「1995年から5年間、お世話になりました。(94年に)肘をケガしてプロ野球人生の分岐点に立った時に、厳しく指導していただいた。あの厳しい練習があったから今も、こうしてユニホームを着させていただいている」と語っていた。

 さらに「裏表のない方でね。野球をしている時は厳しかったけど、終わればどんなに結果がでなくても、普通に接してくれた方。とにかく厳しかったけどね。あの練習があったから、プロ野球に入って、レギュラーになることができた。本当に感謝しかありません」とウエさんをしのんでいた片岡氏。ビックバン打線の中軸として活躍したスラッガーの原点は、想像をも超える猛練習だった。

 後日、神奈川県内で行われた葬儀で参列者の方々に話を聞いても、真っ先に口をついたのが「猛練習の思い出」-。松永浩美氏、石嶺和彦氏、シーズン中のため参列できなかった中でも小笠原現日本ハムヘッド兼打撃コーチらが「厳しい方だった」と語る一方で、「あの練習があったから」と口をそろえた。

 今の時代であれば受け入れられないかもしれない猛練習。現在は関大でアドバイザリースタッフを務める山口高志氏も、出棺の際にひつぎを持ち「今は時代が違って大変なこともあるけど、勝ちにこだわる、勝利に徹する姿勢は伝えていきたい」と語っていた。少年野球指導者を務めていた松永氏も「自分の人生をかけるなら厳しくやっていかないといけないというのを伝えたい」と力を込めていた。

 厳しさと優しさ-。その両面を持ち合わせ、バランスよく使い分けていた上田利治氏。プロ野球界屈指の名指導者として名をはせた名将の育成理論は、今の時代でも決して色あせない。(デイリースポーツ・重松健三)

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