【野球】元広島・正田耕三氏の“ボロぞうきん”愛は高校生の心にも響くのか
“ボロぞうきん”愛は今の高校生の心にも響くのだろうか。プロ野球、広島カープの内野手として活躍した正田耕三氏(59)が、京都成章高校野球部のアドバイザリーコーチに就任したという。このニュースを聞き、ボロボロで継ぎはぎだらけだった、ある内野手用グラブのことが脳裏によみがえった。
彼が社会人の新日鉄広畑からドラフト2位で広島カープに入団した1985(昭和60)年、私はチームの担当記者だった。お互い年齢が近く、当時正捕手だった達川光男氏に「お前ら体形は違うが、男前の顔がそっくりじゃ」と、いじられたことから話す機会が多くなった。
実は大変失礼な発言をしたことがある。ある日、当時本拠地だった、広島市民球場一塁側ベンチの隅に、革の色はあせ、ボロボロになった内野手用グラブらしいものが置かれていた。本当にグラブらしいとしかいえない代物だった。私は「すげえ年季が入ったグラブ。ここまでボロボロなのは見たことがないや」と、思わず叫んでしまった。
その“ボロぞうきん”のようなグラブの持ち主こそが、正田氏だった。打撃練習を終えてベンチに引き上げてきた正田氏は、私の声を聞くや「でも、命の次に大切なものです」と恥ずかしそうにつぶやいた。
それをきっかけに根掘り葉掘り、そのグラブについて聞いた。彼は渋々、こんな話をしてくれた。「高校(市立和歌山商)時代から使っているものなんだよ。破れたら縫い、修理してずっと使ってるよ。手にはめたらグラブだけど、置いてあったら何か分からないかも。でも、これがあったから(ロサンゼルス)オリンピックにもいけたし、プロ野球選手にもなれた」と、いとおしそうに抱きしめたことを覚えている。
プロ1年目は打率・180と壁にぶち当たった正田氏だったが、オフに本来の右打ちからスイッチヒッターに転向。試合以外でも昼夜を問わず打ち込み、優勝旅行にもバットを持参。箸もなれない左手で持ちながら食事をするなどの努力を重ねた結果、87、88年と連続して首位打者に輝くまでになった。
だが、当時の木庭教スカウト部長は正田氏を「打撃はあまり期待はしてない。でも、守備は超一級品。守備だけでも飯が食えるから獲得した」と評していた。入団当初はまさしく守備の人で、その象徴が使い古したグラブだった。その後、「このグラブの寿命がきたら…」という思いもあり、守備練習では新しいグラブを試すことも増えていったと記憶している。何年かして、私の方がチームの担当を外れてしまったため、オンボロの愛用グラブの“最期”を知らない。どうなったか聞いてみたいが…。
彼はコーチ経験も豊富なだけに、高校生にどんな指導をするのか-注目している。だが、技術以前に、高校生へ自分が使う道具への愛着心、尊敬の念をたたき込んでいるのは間違いない。(デイリースポーツ・今野良彦)