【競馬】父・今村康成助手が語る今村聖奈騎手
新人騎手がデビューして4カ月がたった。JRA現役4人目の女性ジョッキーとして大きな注目を集めた今村聖奈騎手(18)=栗東・寺島厩舎=は、6月26日終了時点で16勝を挙げ、さらに7週連続Vなど、勝ち鞍を順調に積み重ねている。
ただ、今の活躍に驚きはない。競馬学校の教官から「今村は男子よりも気持ちが強い。女子として扱われると嫌がりますし。うまくなりますよ」と聞き、今村を小さい頃から知る先輩ジョッキーたちからも、「あの子はうまい」と評判だったからだ。
デビュー直前、栗東トレセンで取材する機会があった。ジョッキーを目指したきっかけについて、今村はこう話した。「父の背中を追って、父よりうまくなりたいという気持ちが強くなりました。ジョッキーってカッコイイな、って。勝てばうれしいし、負ければ悔しい。魅力的だと思いました」。夢と希望にあふれた真っすぐな目が印象的だった。
元ジョッキーの父・今村康成(43)は現在、飯田祐史厩舎で調教助手を務めている。第13期生として、1997年にJRA競馬学校騎手過程を卒業して騎手デビューし、JRA通算45勝(平地5勝、障害40勝)を挙げた。
最低人気(10番人気)のユウフヨウホウに騎乗した2001年12月の中山大障害では、JG1・3勝目を狙う断然の1番人気馬ゴーカイを抑えて悲願のG1制覇。ラストライドは2012年12月15日の中京7R(メイショウリバー)だった。この日、多くのジョッキーたちと一緒に、今村一家も写真に収まった。当時9歳だった長女の聖奈が、緊張した表情をしていたことを記憶している。
父・康成に娘の活躍はどう映っているのだろうか。「落ち着いて乗れていると思いますよ。いい馬に乗せてもらって、経験を積ませてもらって、チャンスを与えてもらって。少しずつ余裕が出てきたように感じますね」。とはいえ、全騎手が勝利を目指し、思い通りにいかないのが競馬だ。「僕もひとつ勝つことの難しさ、大変さは分かっているので」と現役時代の自らにその姿を重ねる。
もちろん、まだまだ課題もある。「数をたくさん乗せてもらうことで下半身が安定してきたように思うけど、まだ他の馬に迷惑をかけることがあります。もっと下半身がしっかりすると、ムチの持ち替えもスムーズになるし、打ち方も力強くなる。そうなれば、迷惑もかけなくなります」。厳しい目を向ける一方で、「もう少し結果を出せたらと思うこともあるけど、今は経験したことを次に生かせるかが大事」と将来像を見据える。
記者も聖奈と同い年の息子を持つ身。親として、同じような視線で父子の関係を見ることが多い。子供の頃はどんな女の子だったのか。振り返ってもらった。「聖奈は小さい頃から男の子と遊ぶ方が多かったですよ。女の子というよりも男の子のような性格。運動も好きでしたね」。
乗馬を始めたのは小学5年生から。体操、バレーボールなど何でもこなしたが、情熱を注いだのは馬乗りだった。「自分の意志でジョッキーになりたいと言ったけど、馬がいる生活で育ってきたので、自然な流れかなと思います」と振り返る。
性格も騎手という職業にフィットした。「僕よりも強気な性格というか…。騎手になると聞いた時に『女の子だからしょうがない、女の子だからアカンな、と言われる世界だぞ』と本人に伝えたんです。でも、聖奈は『女の子なのにすごい、と言われるジョッキーになる』と言い切ったので。勝ち気なところがあって、ジョッキー向きだと思う。あとは引きずらない性格。切り替えられるのがいいところ。一日、何頭も騎乗するわけですから」。競馬は勝つことより、負けることの方が圧倒的に多い。敗戦を引引きずらないで、すぐに次のレースへ集中する姿を父は評価する。
父子にとって特別だったのは、5月14日の新潟4R。飯田祐厩舎のモズミツボシで挙げた未勝利戦での勝ち星だろう。「やはりうれしかったですね。自分が調教をやらせてもらって、結果を出せる仕上げができて、聖奈に『いい感じだから』と伝えて。それで勝ってくれましたから」。一人の調教助手というよりも、父親の表情で頬を緩ませた。
今後も女性騎手として、さまざまな記録で注目を浴びていくのは間違いない。「夏は小倉。小回りだと流れも違う。この1年は多くの経験を積むことが一番大事。フルで乗ると得るものもいっぱいあると思うので、フルで騎乗するのを目標に。ケガをせずに乗り続けること」とエールを送る。
女性騎手のデビュー年最多勝記録を早々と更新、周囲の期待以上の活躍を見せているが父は感謝の気持ちを忘れない。「(所属する)寺島先生も多く乗せてくれて、すごく恵まれた環境にいる。本当に皆さんのおかげです。最近は妻も落ち着いて競馬を観られるようになったみたいですよ」。これからもスポンジのような吸収力で、さらにステップアップしていくはず。引き続きジョッキー・今村聖奈に注目していきたい。(デイリースポーツ・井上達也)