万能しょうゆの起源に迫る 今や「ソイソース」として海外の食卓にも進出!!
しょうゆは「ソイソース」として海外でも食卓に上るようになった。調味料としての万能具合はありがたく、オヤジが慣れない料理をして味付けが変になっても「しょうゆかけたら食えるやろ」とごまかすこともできる。その起源は和歌山県湯浅町と聞きつけた。同町の禅僧が13世紀に宋に渡り、帰国して当地で学んだ味噌をつくる過程で生まれたという。しょうゆ醸造発祥の地として2017年に日本遺産に認定された同町を訪ねた。
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JR湯浅駅から歩いて「湯浅伝統的建造物群保存地区」へ。100年以上前の古い商家や町家が立ち並ぶ。近くまで来るとほんのりとしょうゆの香りが漂ってきた。
しょうゆせんべい、食いたい。
しょうゆといえば真っ先に思いつくのはやはり、しょうゆせんべいではないだろうか。これまでの人生で「おにぎりせんべい」をいったい何枚食べたことだろう。子供のころは、遠足の時に親からおにぎりせんべいを渡され、洋菓子を持ってきた友達と比較して恥ずかしい思いをしたものだった。しかし、今では酒のあてに自分でおにぎりせんべいを買ってくるようになった。
保存地区の広さは東西約400メートル、南北約280メートル。国から重要伝統的建造物群保存地区にも選定されている。
この地区が「最初の一滴 しょうゆ醸造の地」と称される起源は13世紀にさかのぼる。同町にある興国寺の僧覚心(法燈国師)が1254年、宋に渡った。覚心は宋で修行し、興国寺に戻ると宋で覚えた金山寺味噌の醸造方法を伝えた。味噌造りをしていくうちに、味噌おけの上部や底に、赤褐色の汁がたまることに気づいた。この汁がしょうゆの起源となり、日本各地に広まったという。
江戸時代には紀州藩が保護し、町の中心産業として栄え、人家1000戸の湯浅に92軒のしょうゆ店が味を競った。
同地区には江戸や大正期の建物が修繕されながら残っている。出格子、切り子格子などさまざまな格子があり、昭和末期まで営業していた銭湯の甚風呂(じんぶろ)は実に個性的な外観で建築の専門家は立ち止まって動かないという。「町屋マニア」にはたまらない散策地だ。
しかし、建物より食い物だ。おにぎりせんべいを買いに行こう。
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