藤村富美男編 その一 誤解生んだ発言の真意

 半世紀以上にわたって連綿と続く猛虎の歴史‐。キラ星のごとくスターを輩出し、ライバル巨人と死闘を演じてきたタイガースの過去に、本紙評論家・小山正明氏がスポットライトを当て、鮮やかによみがえらせます。題して「“精密機械”小山正明が語る猛虎豪傑列伝」。記念すべき第1回は“ミスタータイガース”として戦後の復興期を支えた藤村富美男氏の登場です。

 この連載のトップバッターは、藤村富美男さんしかないやろ。何と言っても「ミスタータイガース」と呼ばれた不世出の人や。後に村山(実氏)や田淵(幸一氏)、さらに掛布(雅之氏)が「○代目~」と称されてはいたけど、とんでもない。「ミスタータイガース」は藤村さんしかおらん。これは断言できる。

 藤村さんに関してはいろいろあるけど、特に忘れられんのは、昭和31年(1956年)の「藤村排斥事件」(※)やな。もう50年以上も前の話やが、鮮明に覚えとる。

 金さん(金田正泰氏=元阪神監督)が先頭に立って何人か選手が集められ、監督だった藤村さんを除こうとする運動をやった。僕もそれに一枚噛んでたんや。しかし全く違うことを新聞に書かれてしもうた。あたかも僕が先陣を切って藤村さんに反対しているかのようになあ。そんなもん違う、ちゅうねん!

勝ち星で評価

 あの年、大崎(三男氏=1953~58年)が25勝を挙げ、渡辺の省さん(渡辺省三氏=1953~65年)が22勝で最優秀防御率のタイトルを獲得する中、僕は17勝で彼らより数字は見劣った。しかし登板自体は59試合とかなり出てた。先発投手でありながら、リリーフもやってたからな。つまり、今で言えば藤川球児のようなもんや。そうやって先発の尻ぬぐいをした試合が何ぼかあった。

 そしてオフの契約更改になり、当時の戸沢球団代表と話をしたとき、こない言われた。「勝ち星が少ない。大崎や渡辺のように20勝したらまた給料弾もうやないか」と。しかし「ちょっと待てよ!」や。あの頃はリリーフで後ろに回ってやっても全く評価されへんかった。それで勝ち星が少ない、と言われるんだったらリリーフなんか嫌や‐となるわな。そう思って代表に「リリーフでそういう使われ方をするのは嫌です。先発に戻してほしい」と言うたのが「小山、藤村(監督)に反旗」となっていった。

 僕にすれば、使われ方で勝ち星が少ないと言われたことが一番の問題だったわけで、藤村さんどうこうやなかった。他の選手が何で反発していたのか、僕自身は訳解らんかったんよ。金さんが個人的な感情を持ってたんやないか、と思っとるんやけど…。

唯一無二の存在

 その頃、西宮にあった普通の民家の一室を借りて、主力選手が集合したことがあった。これは後で知ったんやが、そこの縁の下に潜り込んで話を聞いていた新聞記者がおったらしい。どこの社やったか忘れたが、えらい執念やで(苦笑)。

 昭和31年と言えば、僕がまだプロ4年目の年。とても藤村さんのそばには寄れへんがな。そんなもん、ドスのきいた声で怖いの何のって…。とにかく、入団した年(28年)の印象が強烈すぎた。ここからは次回やな。

排斥事件とは

 1956年、阪神の選手が藤村選手兼任監督の更迭をフロントに要求したことで事件が発覚。当時の阪神は選手間の派閥が複数にわたって存在。フロント側は選手側に「球団指定日までに契約更改しなければ派閥領袖の解雇」を突きつけたが、選手側は反発し、逆に自主解雇を要求するなど、問題は泥沼化。その後、戸沢一隆球団代表の説得で選手側が軟化し、主将を務める金田正泰が藤村に謝罪。藤村が監督専任として続投することで、球団史上まれにみる内部紛争は決着した。

〈WHO’S WHO〉

▽小山 正明(こやま・まさあき)1934年7月28日生まれ、75歳。兵庫県出身。高砂高から53年、阪神にテスト生として入団。62年には27勝を挙げ、優勝に貢献。64年、山内一弘との“世紀のトレード”で、東京(現ロッテ)に移籍。73年の大洋を最後に現役引退。最高勝率・最多奪三振・沢村賞(いずれも62年)、最多勝(64年)。通算856試合320勝(歴代3位)232敗、防御率2・45。01年、野球殿堂入り。現本紙評論家。

▽藤村富美男(ふじむら・ふみお)1916年8月14日生まれ。広島県出身。36年、阪神に投手として入団。その後、三塁手に転向し“物干し竿”と呼ばれた長いバットで4番打者として活躍。初代「ミスター・タイガース」でもある。首位打者(50年)、最多安打2回(49、50年)、本塁打王3回(36年秋、49、53年)、打点王5回(44、47~49、53年)、MVP1回(49年)、ベストナイン6回(47~52年)。46、55~56年は監督を兼任。58年に現役を引退し、背番号「10」は永久欠番となった。現役通算成績は1558試合、1694安打、224本塁打、1126打点、打率・300(投手では76試合34勝11敗、防御率2・34)。監督通算成績は462試合266勝190敗6分け、勝率・583。74年野球殿堂入り。92年5月28日没。

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