徳島・橋本、投げることを突き詰めたい-社会人チームで新たな一歩を
【徳島・橋本隼投手】文=高田博史
愛媛で2年、徳島で4年。橋本隼が在籍した6年間は、現役選手で最長である。苦しい時期もあったが、長く現役を続けられたのは「そのときどきの首脳陣のおかげ」と話す。
大学を卒業後、クラブチームを経て愛媛に入団した。当時のチームには、NPBを経験した投手が7人いた。「NPBばっかじゃん。投げられねえじゃん!」と思ったのも無理はない。
「思い出すのはやっぱり、1年目ですかね。1年中、怒られてた。でも、なんだかんだ投げさせてはもらったので。いま思うと、いいとこで投げられるはずない」
当時を振り返れば、試合への準備、練習への取り組み方などに甘さがあったことも納得できる。あのころは自分なりに必死で、周りが見えていなかった。
「幼いなと。セルフケアもできてないですし。結局、来て満足しちゃってた部分も大きかったのかな。いまの状態で若かったら、もっとできるなと思うことは、しょっちゅうありますね」
そのころ、ふと「NPBだけが野球じゃない」と考えることがあった。NPBを目指して来たはずが「しっかりした人間になって野球したほうがいいんじゃないか」と思うようになった。
「もっといいボール、もっといいボールって気持ちが、ずっとあるんですよ」
ドラフト指名の可能性と反比例するように、投げる球はどんどん良くなっている。野球は自分にとって学問のようなもの。投げることをもっと突き詰めたい。
退団が決まり、神奈川の養父鐵前監督(元ダイエーほか)の元へあいさつに行った。今年プレーできたのは、養父前監督のおかげだ。そこで来年発足する神戸の社会人チームを紹介された。まだやれるという感覚はある。
「よく野球をあきらめる場所だって言われますけど、別にそんなんじゃなくてもいいと思う。次に向けての準備の場所だったのかな」
“次”とは社会に出て行くことだ。アイランドリーグは人間的な成長をさせてくれた場所。「成長しろよ!」と鼓舞してくれた場所。そのすべてが野球のためだった。アマ球界に舞台を替え、野球とつながっていく。