北京で目撃した百b世界新
読者に“歓声”届けたい
忘れられない光景がある。漆黒の空、じっとりと肌を濡らす熱風、そして9万人から巻き起こる地響きのような歓声。ライトが照らし出す褐色のトラックで 36 歳のスプリンター・朝原宣治は電光掲示板を見上げ夢を叶えた≠アとを確認すると、手にしていたバトンを天高く放り、向かってくる後輩と抱き合った。
08 年8月真夏の北京、陸上男子四百bリレーでトラック競技 80 年ぶりの快挙となる銅メダル。おそらくテレビで見ていた方が、より迫力のある映像だったのかもしれない。ただ、あの日、スタンドから見届けた一枚絵≠ヘ、しばらく経った今も脳裏に焼き付いて離れない。汗ばんだ手で書いた 80 行は、翌日の本紙の一面となった。
五輪担当として1年半に渡る取材の集大成だった北京。運よく日本の全メダルの半分にあたる金5つ、銀3つ、銅4つの誕生を目撃し、原稿を執筆した。これまで取材を続けてきた選手の活躍に何度も胸が熱くなった。その他にもウサイン・ボルトが世界新を出した百bなど人類の歴史が変わる瞬間も見届けた。
正直に言えば、自分の力不足を痛感するばかりだった。4年の一度の祭典。どれだけ選手の内面に深く迫った話が書けるが勝負になるが「あれを聞いておけば良かった」「もう少し突っ込んで取材しておけば」と後悔することばかり。さらに日本と時差がほとんどないため、締め切りまで短時間で原稿を仕上げなければならず、膨大な情報量に混乱。自分の表現力のなさに何度も自己嫌悪に陥った。大きな壁にぶつかった大会でもあった。
ただ、やりがいはすさまじいものがある。一般スポーツは柔道、陸上、水泳といったメジャー競技から、ここ最近急激に注目を集めるようになったバドミントン、ビーチバレー、トランポリンといったものまで野球以外のほぼすべての競技を担当。浅尾美和、オグシオいった美人アスリートを鼻の下を伸ばしながら取材し、五輪後にはサッカーの担当チームのG大阪が、ACLで優勝、クラブW杯に出場。世界最高のプレーヤー、クリスチアーノ・ロナウド擁するマンチェスターUとの激闘には鳥肌がたった。おそらくこれだけ痺れる瞬間に立ち会える仕事はほかにはない。
恥ずかしい話をすれば、この仕事を志望したきっかけは子供の頃に読んだ浦沢直樹作の漫画「YAWARA」だった。主人公のヒロインを追いかけるスポーツ新聞記者の原稿は、読者に聞こえないはずの歓声≠届けた。まだまだ記者としては半人前、それでもいつか自分もそんな原稿が書けたら―。その思いだけは忘れず、今も現場を駆け回っている。
【2005年4月入社・大阪本社レース報道センター(競艇担当)配属。 07 年1月から大阪本社編集局報道部一般スポーツ(五輪、サッカー担当)】 |