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宮沢、米倉も悲嘆「光を与えてくれた」

2012年12月6日

京都から帰京した中村橋之助=都内の自宅(撮影・持木克友)

京都から帰京した中村橋之助=都内の自宅(撮影・持木克友)

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京都・南座に入る片岡仁左衛門(左)=撮影・保田叔久 勘三郎さんとの思い出を語る海部俊樹元首相=東京・文京区(撮影・西岡 正)

 歌舞伎俳優・坂東玉三郎「お客さまが劇場に足を運んでくれることを第一に考えていた。あの人の人生は芝居しかなかった。人を魅了する大きな力があって、それが無くなってしまったことは残された私たちにとって大きなことです。歌舞伎界も困難な歴史になると思うが、残された私たちが最大を尽くすしかない」

 歌舞伎俳優・坂東三津五郎「本人にとっても、ご家族にとっても、歌舞伎界にとっても、そして私にとっても、絶対に起きてはいけないことが起きてしまったというのが実感です。小さい頃から、同学年で彼が先頭を立って走ってきたから、僕もそれに遅れまいと頑張ってきたおかげで今の自分があります。今は、もう二度と同じ舞台に立てないのかと思ったら、自分の人生の半分をもぎとられたような気持ちです」

 元首相・海部俊樹氏(中村屋後援会会長)「人間としてほのぼのとしたものを持っておったので、こういう人が成長すると日本の歌舞伎もうんと変わってくると期待したことを思い出しました。彼は正義感があり、正義に反することには体を震わせて怒っていた。つらいとき、苦しいときはちゃんと激励してくれた」

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関連写真

  • 弔問に駆けつけた坂東三津五郎=東京・文京区(撮影・西岡 正)
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