山口蛍プロへの光が消えかけた中3の冬
2014年5月7日
父の背中を追うようにサッカーを始めた山口は、小学3年になると憲一さんがコーチを務める「箕曲(みのわ)WEST SC」に入団し、頭角を現していく。
ピッチを縦横無尽に駆ける現在のプレースタイルを支える脚力は幼少期に養われた。当時社会人チームでプレーしていた憲一さんの自転車トレーニング。自宅周辺の坂道を上っては下る約6~7キロの道のりを、まだ小学校低学年だった山口も自転車に乗って必死で付いていった。
鈴鹿サーキットの自転車レースに出場したこともある。南コース(全長1・264キロ)を逆回りに1周するレースで、ほぼ最後尾スタートだったにもかかわらず、数百人をごぼう抜きして十数位でゴールした。
山口が小学4年の時、両親が離婚する。「最初は意味が分かっていなかったと思う」と憲一さんは振り返る。だが、日がたつにつれて情緒不安定になっていき、絵を描いても黒や赤など暗い色を使うことが多くなったという。
「何が一番大切なのか。子供と一緒にいる時間を大事にしよう」。憲一さんは勤めていた会社を辞めて、アルバイトを掛け持ちしながら生計を立てた。朝は子供たちの朝食や弁当を作り、昼は土木作業員、夜はバーで働いた。
小学6年の夏、山口に転機が訪れる。ある招待試合でJ2京都の下部組織と対戦。2本の直接FKを決めるなどチームを勝利に導いた。試合後、相手監督からセレクション(入団テスト)への勧誘があった。せっかくならと、C大阪とG大阪も受けることになったが、ここでちょっとした運命のいたずらがあった。
最初にG大阪の1次選考に合格。2次選考まで日にちがあったため、今度はC大阪のテストを受けると、その日のうちに合格の連絡が届いた。「受かったからここでいい」。山口の心は固まった。
当時ユースの統括責任者だった中田仁司氏(現J1徳島強化部長)が自宅まで訪れ、中高6年間で年会費などが免除される特待生として迎え入れたいとの申し出を受けた。こうして山口は、桜色のユニホームに袖を通すこととなった。
中学時代は近鉄大阪線で名張市内の駅から大阪難波駅まで出て、そこから自転車で当時練習場があった南津守(大阪市西成区)まで2時間近くかけて通っていた。憲一さんによると、「3年間『しんどい』などと言ったことは一度もなかった」そうだ。
そんな山口が一度だけ、サッカーから距離を置いたことがある。ユース昇格が決まっていた中学3年の終わりごろ、1カ月半から2カ月近く練習に行かず、家に帰らないこともあった。山口は「地元の子と遊ぶ時間が全くない中で、高校(清明学院高)から大阪で寮に入ることも決まっていた。地元の友達と離れてしまうので、もっと遊びたいという気持ちになった」と当時を振り返る。
憲一さんによると兆候は既にあったという。仕事を終えて帰宅すると、練習に行っているはずの山口が家にいたり、クラブから「練習に来ていない」という連絡が入ることもあった。そして、とうとう「辞める」と言いだした。その後は顔を合わせるたびに「どうするんや」「辞める」の繰り返しだった。
だが、山口はサッカーに戻ってきた。「おばあちゃん(みさほさん=77)が、プロになったら『試合を見に行きたい』と言っているというのを(父から)聞かされたりして、このままじゃダメだと感じた」。兄も交えた3人の“家族会議”でC大阪に戻ることを決意した。
もしあの時、思いとどまることがなかったら「たぶんグレていたと思います」。家族だけではなく、当時のチームメートやU‐18の副島博志監督(現千葉U‐18監督)にも「すごく声を掛けてもらった」と、周囲の支えに感謝した。
現在、山口は23歳。ちょうど山口が生まれた時の憲一さんの年齢と同じだ。結婚については「したいです」ときっぱり。「自分が現役でいるうちに必ずやりたい」と、子供を抱いての選手入場も夢見ている。思い描く父親像には、きっと自身の父を重ね合わせていることだろう。
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