斎藤“第二の故郷”愛媛に感謝
2014年5月21日
3年前の11年シーズン。斎藤は1年間だけJ2愛媛でプレーした。当時21歳。ユースから昇格した横浜Mで結果を出せず、出場機会を求めて決断したレンタル移籍だった。
獲得に動いた愛媛の児玉雄一強化部長(35)は「ドリブルの切れ味は一級品。大きな武器になると考えた」と振り返る。当時指揮を執っていたクロアチア人のバルバリッチ監督も斎藤の技術に絶大な信頼を置き、攻撃陣の柱として起用した。
サポーターの間で伝説となったゴールがある。5月の湘南戦。斎藤はドリブルで相手DF3人を次々に抜き去り、同点弾をたたきこんだ。1‐1の引き分けに終わった試合後、湘南の反町康治監督が「愛媛のメッシにやられた」とコメント。そこから「エヒメッシ」の愛称がついた。
愛媛での1年間、斎藤の食を支えたのが「ごはん屋まるとく」だった。05年のオープン当初から愛媛の選手に人気の店。斎藤はほぼ毎日通い、「座敷席で昼寝もしていた」と宇都宮さんは思い出す。
店のメニューに関係なく、斎藤は食べたいものを自由に注文した。ただ「厳格に自己管理していましたね。若いのに、すごいなと感心しました」と宇都宮さん。揚げ物はNG。肉の端についている脂身も取り除いてほしいと要望してきた。間食は一切しない。カレーが好きだったが、バランスを考え、同じものを続けて注文することはなかった。
徹底的な食事管理で培った筋肉を、毎日のトレーニングで鍛え上げた。童顔の外見とは裏腹に「脱いだらエグい」とチーム最古参のDF関根永悟(32)は証言する。36試合出場で14得点。強烈なインパクトを残したプレーだけではなく、人なつっこくて誠実な人柄もチームメートやサポーターから愛された。
翌年、横浜Mに復帰した斎藤はレギュラーに定着した。ロンドン五輪出場を果たし、日本の4位躍進に貢献。ほどなくザックジャパンにも招集されるようになった。児玉強化部長は「彼に足りなかったのは『自信』だけだった。それを愛媛でつかんだのでしょう」と目を細めた。
5月12日。運命の代表メンバー発表。ザッケローニ監督から22番目に名前を読み上げられた斎藤は、直後の会見で「愛媛FCですべてが変わった。愛媛のみなさんに感謝の気持ちを伝えたい」と語った。
その言葉を聞き「たった1年いただけなのに、今でも愛媛のことを良く言ってくれる。うれしいですね」と宇都宮さんは笑った。そして「ワールドカップでも斎藤君らしく頑張って欲しい」。あじさいの花を見つめながら“愛媛の母”はエールを送った。
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